aoitsukikun’s blog

隠しません。どん底からの人生、ありのままを綴ります

どん底からの人生、ありのままの日常を綴っていきます

・私がどん底人生に至った原因

私が今の状況に至った原因は13年前の離婚でした。

3人の子供を連れ逃げ出すように家を出ました。後日、元夫に離婚届を書いてもらい

シングルマザーとなりました。

・私がどん底人生に至った経緯

小学生の子供1人、幼稚園児の子供2人と4人での生活がスタート。

精神的苦痛の日々から解放されたのもつかの間、経済的苦痛の始まりでもありました。俗に言う貧困層の暮らし、生活費の補てんから借金を繰り返し、自転車操業の毎月…2年前経済的に力尽き債務整理を行いました。借金の利息から解放されたものの、返済を代行してもらっている弁護士事務所への多額のお金を返済する日々が続いています。

どん底人生にいる私の変化しつつある日常 

借金を返済する日々のなかでも、無事に子供は成長してくれています。一番上の子供は就職で県外へ。2番目の子供も無事に高校を卒業し、奨学金で専門学校へ進学。末っ子も奨学金で進学をしようとしています。

学生の2人の子供達もバイトをしてそれぞれ学費や自分達のお金を稼いでくれるようになり、少しではありますが楽になってきています。

・これからについて

子供達がみんな社会に出ていくまで、借金を完済を目指して生きていきます。

これからの事や過去の事も綴っていこうと思います。

不登校になった娘 2

娘に学校を辞めていいよ と言ったものの
さあ これからどうしたものか
とりあえずは娘自身が自発的に行動できるのを待ってみることにしました。

日々過ごして行く中

少しずつ食事の量が増えてきて
発する言葉の量も増えてきて
私が仕事に行っている日中家事をしてくれたり
少しずつ活動量も増えてきて
本来であれば二学期の最後の月を迎える頃

まだ顔色が晴れない

辛い環境から逃げ出せたものの

家族以外の自分の居場所を探しているような
本来高校生である自分が学校に属して居ない不安を抱えているのか

「学校 行きたいんじゃない? 違う学校に」

「・・・色々探してみた 私立の通信制高校に通いたい バイトして学費も少し払うようにするから
お母さんお願い通信制の学校に通いたい」

え・・・私立かぁ 学費どうしよう
副業しないと・・・
現実的な考えが頭をよぎります

でも 娘は学校に通いたいと思ってる
自分で学費を稼いでまでも、学校に行きたいと思っている

「○○がそこまで考えてるなら良いんじゃない? 一緒に頑張ろう」

決めてからは早かった

新しい学校の学校説明を娘と聞きに行き
各提出書類 授業料関係の申請書類提出
バタバタと転入手続きを行い
入学説明の日 今年度のスケジュールの説明を受け 娘の担任の先生と初顔合わせ


「担任の▽▽です 〇〇さん転入の事情は聞いています
うちのクラスには同じ事情で転入してきた生徒もいるし
他にもいろんな事情があって転入、編入してきた生徒が多いから
安心して相談してください」

娘と私にとって心強い言葉でした

新しい学校生活がスタートし
娘が学校から帰ってくるたび
「学校どうだった?」と
尋ねる私

「今日は友達ができた」とか
「同じ病気もった友達もいたよ」
「学校の友達とご飯食べに行ってきた」
「放課後、友達と宿題して帰ってきた」

今の学校での事を楽しそうに話す娘を見るたび

「色々大変だけど・・・無理して今の学校行かせて良かった」と感じました。

4月に無事3年生へ進級

現在に至ります。

気が付けばもう9月
娘の進路の事で 現在の担任の先生と三者面談の帰り道

「お母さん、前の学校辞めさせてくれて 今の学校に行かせてくれてありがとう。
今、友達にも先生にも恵まれて楽しいよ。将来に向かって頑張る。」

娘と悩んだ去年の事も笑い話になった日でした。

不登校になった娘 その1

去年の今頃の事です。

一番下の娘の体調が悪化しました。

3年前から起立性調節障害と診断され、何とか彼女なりに頑張ってきたのですが丁度去年のこの時期です。
高校2年生の新学期を迎え、朝起こすけれど返事がない・・・
顔色を見に行くと、案の定青白い顔色。
こんな状態で何とか学校に行かせても必ず学校で意識を失い、一時起き上がれなくなるパターン。

「今日は体調悪いだろうから、学校行くのは無理だね・・・お休みしよう」

そう娘に告げると、ふっと顔の表情が緩みました。
新学期が近づくにつれて娘の表情が暗くなっていたのは、私の気のせいでは無かったみたい。
次の日は前日休んだ罪悪感からか、何とか学校に行きましたが
その日のお昼前、学校から連絡がありました。

「〇〇さんが授業中意識を失いました・・・今保健室で休んでますので、お迎えお願いします。」と。

職場に急遽半休をもらい、保健室へ娘を迎えに行った帰りの道中の車の中、

「お母さんごめん・・・」
「大丈夫、〇〇の体調が一番。それより・・・何かあった?」
「・・・・」

娘が泣き出しました。

「学校・・・行っても、独り。しんどい。」

起立性調節障害のせいで、遅刻したり早退したりを繰り返して

仲の良かった友達も他の友達の輪に入ってしまう。
娘と私が一番心配していた状況を引き寄せてしましました。

娘のクラスは進学クラスで10数名程と少人数制。その10数名の1人が男の子で
残りは全て女子。クラスの女子みんなが仲が良いと良かったのですが
2人~3人の固定の輪を作って、なかなかその輪に入りづらい状況だったそう。
精神的ストレスからの症状悪化でのお休みが2日、3日続き・・・
1週間が2週間と・・・
その間娘の担任の先生に相談してみても

「〇〇さんは、繊細ぎるのかな・・・?クラスの子達の何気ない一言を
全て受け止めてしまうんでしょうね。クラスの子達も心配していますよ。▲▲さんや
■■さんが良く〇〇ちゃん体調心配していましたよ。」と

「そうなんですか。〇〇が弱いだけなんですかね・・・」

そう担任の先生に返すと、先生からは乾いた笑いが帰ってきたことを覚えています。

▲▲さん、■■さん・・・って、もともとは仲良かったけど、今は話しかけても娘を無視するっていう子って聞いてるけど・・・。

結局担任の先生に相談しても平行線・・・

確かに、我が子が言うこと、感じた事を100%信じたいけれど、感じ方、とらえ方は個々で違う。
現場を見ていないし、決定打になる証拠もない。娘を守れない・・・悔しい

その後も、娘自身学校に行かなくてはという義務感から、朝何とか起きて制服に着替え
最寄りの駅まで向かう・・・が電車に乗り込む事が出来ず、家へ帰って来る事が何度か続きました。

そんなある日、私が仕事から帰ってくると娘がベランダにいました。
ただいまー。お腹すいたね。今ご飯作るね。

「・・・。」

返事がありません。

「ねえ!?」

と娘の肩をたたくと娘は泣いていました。

「死ねなかった」

自分を責めてベランダから飛び降りようと思ったそうです。
でも、怖くて飛び降りれなかったと。

良かった・・・。飛び降りずに良かった。生きてくれて本当によかった。

「学校、辞めようよ。そんなに自分を責めなくていい。高校なんて今の世の中何とでもなるよ。生きていれば、なんとだってなる。大丈夫。」
そう娘に告げると、その場に泣き崩れました。

学校にいけない自分をずっと責めていたんでしょう。

高校を辞めてしまったら、世間体、私に迷惑をかけるとずっと悩み続けてきたんでしょう。
無理強いはしなくても、娘に間接的にプレッシャーをかけ続けてしまった。
結局、私も娘を追い込んでいた・・・。ごめんね。本当にごめんね。

ただ、娘が生きていてくれることがこんなにありがたいんだと実感した出来事でした。