aoitsukikun’s blog

隠しません。どん底からの人生、ありのままを綴ります

不登校になった娘 その1

去年の今頃の事です。

一番下の娘の体調が悪化しました。

3年前から起立性調節障害と診断され、何とか彼女なりに頑張ってきたのですが丁度去年のこの時期です。
高校2年生の新学期を迎え、朝起こすけれど返事がない・・・
顔色を見に行くと、案の定青白い顔色。
こんな状態で何とか学校に行かせても必ず学校で意識を失い、一時起き上がれなくなるパターン。

「今日は体調悪いだろうから、学校行くのは無理だね・・・お休みしよう」

そう娘に告げると、ふっと顔の表情が緩みました。
新学期が近づくにつれて娘の表情が暗くなっていたのは、私の気のせいでは無かったみたい。
次の日は前日休んだ罪悪感からか、何とか学校に行きましたが
その日のお昼前、学校から連絡がありました。

「〇〇さんが授業中意識を失いました・・・今保健室で休んでますので、お迎えお願いします。」と。

職場に急遽半休をもらい、保健室へ娘を迎えに行った帰りの道中の車の中、

「お母さんごめん・・・」
「大丈夫、〇〇の体調が一番。それより・・・何かあった?」
「・・・・」

娘が泣き出しました。

「学校・・・行っても、独り。しんどい。」

起立性調節障害のせいで、遅刻したり早退したりを繰り返して

仲の良かった友達も他の友達の輪に入ってしまう。
娘と私が一番心配していた状況を引き寄せてしましました。

娘のクラスは進学クラスで10数名程と少人数制。その10数名の1人が男の子で
残りは全て女子。クラスの女子みんなが仲が良いと良かったのですが
2人~3人の固定の輪を作って、なかなかその輪に入りづらい状況だったそう。
精神的ストレスからの症状悪化でのお休みが2日、3日続き・・・
1週間が2週間と・・・
その間娘の担任の先生に相談してみても

「〇〇さんは、繊細ぎるのかな・・・?クラスの子達の何気ない一言を
全て受け止めてしまうんでしょうね。クラスの子達も心配していますよ。▲▲さんや
■■さんが良く〇〇ちゃん体調心配していましたよ。」と

「そうなんですか。〇〇が弱いだけなんですかね・・・」

そう担任の先生に返すと、先生からは乾いた笑いが帰ってきたことを覚えています。

▲▲さん、■■さん・・・って、もともとは仲良かったけど、今は話しかけても娘を無視するっていう子って聞いてるけど・・・。

結局担任の先生に相談しても平行線・・・

確かに、我が子が言うこと、感じた事を100%信じたいけれど、感じ方、とらえ方は個々で違う。
現場を見ていないし、決定打になる証拠もない。娘を守れない・・・悔しい

その後も、娘自身学校に行かなくてはという義務感から、朝何とか起きて制服に着替え
最寄りの駅まで向かう・・・が電車に乗り込む事が出来ず、家へ帰って来る事が何度か続きました。

そんなある日、私が仕事から帰ってくると娘がベランダにいました。
ただいまー。お腹すいたね。今ご飯作るね。

「・・・。」

返事がありません。

「ねえ!?」

と娘の肩をたたくと娘は泣いていました。

「死ねなかった」

自分を責めてベランダから飛び降りようと思ったそうです。
でも、怖くて飛び降りれなかったと。

良かった・・・。飛び降りずに良かった。生きてくれて本当によかった。

「学校、辞めようよ。そんなに自分を責めなくていい。高校なんて今の世の中何とでもなるよ。生きていれば、なんとだってなる。大丈夫。」
そう娘に告げると、その場に泣き崩れました。

学校にいけない自分をずっと責めていたんでしょう。

高校を辞めてしまったら、世間体、私に迷惑をかけるとずっと悩み続けてきたんでしょう。
無理強いはしなくても、娘に間接的にプレッシャーをかけ続けてしまった。
結局、私も娘を追い込んでいた・・・。ごめんね。本当にごめんね。

ただ、娘が生きていてくれることがこんなにありがたいんだと実感した出来事でした。